転職3年目で海外支社長に!? 国境越えチャレンジャーの丁寧な組織論

トンガルマンには、入社して3年でベトナムへブランチ会社を立ち上げた猛者がいます。
彼の名は川村 修和。一見爽やかで無邪気な笑顔の青年ですが、実は虎視眈々と挑戦の機会を覗う野心家でした。
3年という短い期間でどのように成長し、社長の座に就いたのか。海外で会社を立ち上げるために必要な意思やノウハウとは?
絶好のタイミングで帰国した川村さんに、魅力的なお話を沢山聞いてきました!

川村 修和(かわむら しゅうわ)

Laichi LLC. General Director (代表取締役)
中学時代からデジタル表現に興味があり、将来は仕事で携わりたいと思っていた。
新卒で内装系の企業に入社、グラフィックや空間デザイン業務の進行、品質管理を務める。他社より特に奇抜だった当時のトンガルマンのサイトが心に刺さり2016年に入社、ディレクター業務を3年勤める。
2019年にブランチ会社としてLaichi LLC.を立ち上げ、同社の代表取締役に就任する。
トンガルマンのフランクな社風が好き。

目次

  1. 成長するには、キャラも変える必要あり…?
  2. 変化を求めて。楽しみながら海外挑戦。
  3. 川村式コミュニケーション法「お互いに敬意を表する」「理由を伝える」
  4. ベトナムから全世界へ。Laichiから広がるイノベーション

成長するには、キャラも変える必要あり…?

――トンガルマンに入社した時は、業界未経験だったんですか?

最初の会社では元々デザイナーとして採用されたんですが、実際には博物館や美術館の展示パネルの進行管理、予算管理、品質管理をする部署への配属でした。
その文章をどうするかなどを学芸員さんと話しあって決めて、グラフィックや空間デザインとして出力するんです。

他社の担当職人さんと、「こういう見せ方をしたいのでこう作ってください、この日までなので、こういう工程で進めてください」などのやり取りをします。トンガルマンでのディレクターの仕事に似ていますね。
岩手から沖縄まで全国の公共施設を飛び回っていましたね、5年くらい勤めていたかな。

――川村さんが入社した当時、トンガルマンはどんな感じでしたか?

僕が入社したのは2016年なので、創立4年目の時ですね。
フランクな雰囲気は昔から変わらないですし、会社のルールみたいなのも特になかったです。

トンガルマンの案件は特異性があるものが多いけれど、当時のプロジェクトは今以上に初めてやることばかりでしたね。とにかく目の前にあるものを片端からこなしていくイメージ。前やった案件もドキュメント化されていなかったので、自分で考えて行動する必要が常にありました。

――当時20代の川村さんはどんな人だったんですか?

若い時は完璧主義なところがあって、綺麗に納めようと考えがちでしたね。
抱えるプロジェクト数や関わる人数が増えてくると、自分がめちゃくちゃ残業したとしても必ずどこかでパフォーマンスの限界が来るんです。そこを突破できるか否かで一番成長を感じました。

社長の水野さんから直々に指摘を受けた時は、自分のやり方を変えていかないとうまくいかないんだと気付かされました。考え方や伝え方においては、自分のキャラ的な部分も含めて変える必要があったりだとか、当時の先輩にアドバイスをもらったりしましたね。

――経験や失敗を繰り返し顧みることで、今の川村さんになっていったんですね。自分の考えやキャラを意識的に変えるって特に難しいことだと思いますし、苦労もあっただろうな…

変化を求めて。楽しみながら海外挑戦。

――ベトナムに会社を進出させたということですが、まずはLaichi創立の経緯をお話してくれますか。

日本の市場では、エンジニアが必要な仕事がどんどん増える一方で、その需要に採用が追い付いていないんです。国内の労働人口がこれ以上増えないのが理由ですね。
一方でベトナムではある程度労働人口がいて、国としてもIT人材を増やしていく傾向になっています。各国でベトナムに企業を立ち上げようという取り組みが増えていまして、トンガルマンでもベトナムを皮切りに、他の国にも進出していけたらという方針でした。そうすれば、パートナー会社さんに依頼していた業務もオフショアとして巻き込むことができますしね。

――ベトナムの社長としてのお話があった時に、即答で「はい」と答えたそうですね!川村さんが選ばれた理由は何だったのですか?

行けそうな環境で、きちんとした人なら誰でも立候補してこいという感じでした。きちんとした人というのは、海外に人を送るリスクという意味でですね。飛行機で行き来する費用がまずかかりますし、さらにベトナムは所得税が高いので、手取りが保証できるよう給与をその分上乗せする必要があります。なので、「向こうへ行っても辞めずに、責任を持ってやっていける人である」ということですね。
税率以外にもあらゆることが日本と変わってくるので、他にも条件は色々あったとは思いますが…あとは単身だったからですかね笑

――トンガルマンにいたころから、将来的に会社を立ち上げたいという目標はあったんですか?

フリーランスの時があったんですが、前の会社の関連企業から仕事をもらうと契約を結んでいたので、その契約上法人でないといけなかったんです。起業という形にはなりますが、その時は特に意識はしていませんでした。

きっかけになったのは、ベトナムに行く前の年にアメリカのSXSWというイベントに行って、日本人のアーティストにお会いしたことですかね。海外に旅行したことは何度もありましたが、現地で働く日本人に会ったのはそれがはじめてでした。
その時は、衝動でトンガルマンを辞めてまで海外に行くことはしなかったですけれど、今のまま2年も3年も、同じ働き方をしていていいのかを考える大きな理由になりました。
思い返すと、その時くらいから水野さんもオフショアできる国がないか探していましたね。

ベトナムへ行ってみないかと社長の水野さんからお話を受けた時は、入社して3年経った頃でした。トンガルマンの仕事も慣れつつあって新しい挑戦を何かしたいとは思っていましたね…今の仕事に飽きてきたというか、変化を求めて探していたという感じです。
歳も30代に差し掛かっていましたが結婚の予定もなかったので、大きくチャレンジするなら今だろうと思いましたね。一つでも条件が悪かったら行けなかったかもしれないです。

海外で働くことは夢の一つでもあって、英語をちょうど勉強していたので、それにちょうど合致したという感じですかね。ベトナムの話を受け入れたらすぐに全体会議でそれを報告していたので、僕が変化を求めていたのを感づかれていたのかもしれません。

――勉強していたことが、新しいことにチャレンジできる要素として活きたんですね。経営関係の勉強はどのくらい準備していきましたか?

経営の勉強はほとんどやっていないです。異国で会社を立ち上げるので、日本とは勝手が違うし足りない知識は必ずどこかで出てくるんですよ。
だからまず、そこの知見に長けているコンサル会社さんに入ってもらっていましたね。

あとは、経営学を意識するというよりは必要な知識をその都度調べたり、周りの人に聞いてまわったりという感じです。
そこを楽しんでできる人でないと、海外で起業するのはなかなか難しいかもしれません。

――日本メンバーとの別れはやはり寂しかったですか?

ちょうど何人かの新人さんが入って同じプロジェクトチームで案件をやっていたこともあって、寂しがってはいましたね。直属の後輩という感じでしたし。
僕も寂しさはありましたが、楽しみの方が大きかったです。不安なんてものは全然感じませんでしたしね。残される方は不安だったと思いますが…

――不安を全く感じないくらいの意気込みとは、ずっと夢だった事とはいえ凄いです…頼もしいですね!

川村式コミュニケーション法「お互いに敬意を表する」「理由を伝える」

――ベトナム行きが決まってから会社を実際に立ち上げるまで、川村さんはどこまで関わったんですか?

報告や連携も含め、どう進めていくかはほぼ100 %ですね。
もう一人ベトナム行きが決まった、グループ会社の人と2人で色々決めていきました。

既にある会社を間借りさせてもらう「ラボ契約」という形で立ち上げたんですが、人員はその会社に所属しているスタッフにアサインしてもらいました。
立ち上げ当初のメンバーは僕を含め3人でしたね。フロントエンドのエンジニアさんと、もう一人は通訳。当時のメンバーは今でも活躍してくれています。
最初にこの3人で、日本から仕事をどのように流していくかのワークフローを作らないといけないのですが、その間にもメンバーを増やすために採用活動もしていましたね。

立ち上げ当時のLaichi

社名も、自分たちで決めてしまうより全社巻き込んだ方が良いと思って意見を集めました。「Laichi」は造語で、フルーツのライチ (Lyche) とは違うんです。ドレミファソラシドの「ラ」と、数字の「1」。

オーケストラって「ラ」の音で調音するんですが、その時音が広がるイメージになるんです。
ベトナムを支点に全世界に広がるようにという想いを、「ラ」の広がるイメージに重ねています。「1」というのは、最初の拠点である数字の1という意味合いが込められています。
最終候補の中からベトナム人メンバーにも意見を聞いたうえで決定しました。「ライチ」の響きが南国の雰囲気を出していて気にいったみたいですね。

Laichi.llcのロゴ

――メンバーの意見をとても大事にしているんですね。
トンガルマンでも、メンバーとの関係性は意識していたんですか?

面接時に感じたトンガルマンのアットホームな雰囲気は、入社してからもそのままでした。
その社風がベトナムの国柄ともうまくマッチしたようです。社内の関係性作りはLaichiにも引き継いでいきたいと思っていますね。マネージャーの僕にもメンバーから話しかけやすい雰囲気を出すようにふるまうことを意識しています。

働くメンバーは人なので、人を大事にする仕組みや取り組みを大事にしていけたらなと。僕が作業をお願いして、それをメンバーが真面目にやってくれているからプロジェクトが進行していくので、お互いに敬意を表する姿勢は特に大事にしていますね。
創立当初からずっといてくれるメンバーも多いので、転職が当たり前の文化の中でうまくやれているんじゃないかなと思っています。
もちろん新陳代謝が大事な時もあるので、時にはそれを受け入れることも大事ですけどね。

――川村さんがメンバーに寄りそう姿勢は、トンガルマン時代に培ったものなんですね。文化などの違いなどでメンバーとうまくいかないことはありましたか?

何でこんなことが起きた?というトラブルが何度かありました。
日本人同士だと言わなくても分かる共通のルールみたいなものがあるじゃないですか。海外では、考え方のベースが違うことが事故の原因になりうるんです。

ある時エンジニアの子から提案をしてくれた時があったんですが、事前に理由を添えて作業内容を伝えていなかったことが原因で、まったく的を射ていないアドバイスが来たんですよ。ベトナムでは、「なぜこの作業をしないといけないのか」という理由がないと自分の行動の理由も分からないので、作業の指示だけをするとトラブルが起きてしまうんです。

ノウハウとしてのポイントは「作業の理由をきちんと説明する」「なぜやるかを伝える」ですね。
理由を伝えなくても工程が進む時はあります。でも逐一伝えることで、次に同じ工程を進めるときの判断材料になりますし、応用もできますよね。

――国の文化にあったコミュニケーション法を編み出していくことが大事なんですね。会社の課題も沢山あったのでは?

課題は常に山積していますね…一気に解決することは出来ないし、1つ片付いたと思ったら3つくらい増えていることもある。それらをどう優先付けして解決していくかですよね。

グループ会社全体でMTGをして、知識を借りることが解決の糸口になりましたね。全体でどういう知見があるか、どうチェックをしたら解決できるのか、いいものが出来るかなどの課題を順に洗い出して解決していったことが、Laichiを作り上げるうえで一番大切だったと思います。
このようなワークショップは、定期的にエンジニアの人に来てもらって行うようにしています。新型コロナウイルスが流行ってからはオンライン中心ですね。全部が品質管理の話題というわけではなくて、トンガルマン技術力向上という形にもなっています。

――グループ会社であることの強みを活かした解決策ですね!

ベトナムから全世界へ。Laichiから広がるイノベーション

――ベトナムだから挑戦しやすいと感じることはありましたか?

挑戦に対しての敷居は日本より高くないと思います。周りの人の反応を伺う必要もないし、何かをやる前から委縮することはないんじゃないかなと。
ベトナムの日本人コミュニティの中でも、将来こんなことを挑戦したいんだと言い合える雰囲気です。そういう熱意を持つ人がベトナムに来てるのかもですね。

――念願の海外で社長になれましたしね!
これからLaichiを川村さん色にどんどん染めていこうという感じですか?

良くも悪くも、僕のスタイルがもともとあまり自分を出していく感じではないんですよ。
メンバーの定着率も良く、知識も溜まってきているというところは会社のベースにしていきたいのでそこは変えないつもりですし、ここからアップデートしていきたいと思っています。
Laichiの展望は、東南アジア全体の活性化、イノベーションを起こせるようなものを作っていきたくて、それが将来的にアジア全体の成長に繋がればいいなあと。僕らが今やっている案件の技術とか知識をいつかそこで発揮できればいいですよね。

――東南アジアをイノベーション!それはどのようにですか?

時代や状況を見ながらマッチしていかないといけない部分もありますけれど、将来的なポジションとしては、他のIT会社のプランニングとかプロデュースを出来るようになればいいなと思っています。

ベトナムのエンジニアは技術力が高く、スキルアップに前向きな姿勢の人が多いのですが、UI/UXの話まで行ってないのが現状です。
作りたいものはあるけど技術力をどう使うか、どう予算を組めば一番効率的なアプローチを出来るのか分からない会社が多いんですよ。
それらの会社をターゲットにコンサルティング、プロデュースを出来るようになっていければ、Laichiの実力をうまく発揮できるのではないかと思います。

――「Laichi」の社名に込められている「ベトナムを支点に全世界に広がるように」という想いにも繋がるんですね!
最後に、大きな挑戦をしてみたい方へ一言お願いします。

僕がフリーランスとして起業した時は、土日の休みなんてないですし、次の仕事を取れるかの不安と常に闘っていました。Laichiの創設の時はそのような不安を感じる必要がなかったし、トンガルマンの挑戦しやすい社風に後押しされた部分もあって思い切ることができたんだと思います。

なのでトンガルマンは、チャレンジしたいけどどう踏み出したらいいか分からない、いきなり大きな一歩は怖いという人へ後押しをしてくれる会社なのではないでしょうか。責任も一定量あると思うので、最後までやり遂げることが前提ですけどね。
新しいことをどんどん取り入れていますし、実際に成功したチームの事例もありますよ。

僕も、一度は社長の水野さんに道を作ってもらった人間なので、次は自分で切り開いていくのが目標です。Laichiの海外支社の種を他の国に撒いていけるように、ですかね。
ちなみにLaichiは日本からのチャレンジャーも受け入れを考えています。日本人がいればまわる業務もあるので。どんどんこういう企画やりたいですと自分から言ってくれる人はウェルカムです。

――――川村さんありがとうございました!
トンガルマンのこれからの海外展望に期待ですね。

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